『永遠の0』が教えてくれた祖父の想い
『永遠の0』
有名すぎる小説だ。2006年に初版発行。その後、文庫化、漫画化、映画化し話題となった。
その話題というのが厄介で、ザ・賛否両論というかんじ……いや、否が多いのかな。擦られすぎているこの話題だが、私に大きな影響を与えた作品であることは間違いないので、今更ながらに『永遠の0』を考える。
- 【批判1】戦争賛美の思想と捉えられかねない
初版の2006年というのは戦後60年というタイミングなのだが、そのタイミングで今まで戦争に関心を持たなかった層までに書籍を読ませ、考えさせたのはこの作品の最大の功績だと思う。ミリオン売れて、それが人の意識に働きかけるって、無限大の可能性を感じる現象だ。
実際にわたしも読んで心を動かされた一人である。祖父について調べ終えた若者の変化からは、人権が守られ自由な今を生かされている現代が貴重であることを認識し、懸命に生きよというメッセージを感じた。 本文の相当を占める戦時下の航空兵の熾烈な環境描写からは、百田氏本人の言う「特攻を断固否定」「反戦」のメッセージも受け取った。
しかし、一方で違和感もある。
- 【批判2】やたらパクっている
この作品は夢を見失った現代の若者が、実の祖父である特攻で亡くなった一人の海軍航空兵の生き様を、生前の彼を知る人に聞き歩き、浮き彫りにしていくというストーリーである。
そこで問題となるのがパクリ疑惑。浅田次郎さんの『壬生義士伝』に構成が似ているのだ。『壬生義士伝』は新選組に入隊した吉村貫一郎の人物像を、吉村亡き後周囲の人間たちの語りによって浮き彫りにしていくものだ。そこだけで似ているというのは確かに尚早だが、『永遠の0』も『壬生義士伝』も、その浮き彫りにされる人物がどちらも【人一倍強いのに命乞いをする】点で一致しているため、既視感がすごい。
- でも、国民に戦争について考えさせた功績はすごい
批判について書いたが、わたし個人としては昨年の戦後70年という節目にこの書籍を読んでよかったと思っている。 わたしはこれまで不幸な話や恐ろしい話、怖い話が本当に苦手で大嫌いで、小さい頃からずっとずっと避けてきた。 「火垂るの墓」も通して観れたことがないし、例えフィクションでも戦争を題材にした話は読めない・観れないだった。 けれど、数ヶ月前から急に戦争の史実に興味を持って、「積ん読」だった『永遠の0』もその心情の変化から読むに至った。
亡くなった祖父は、幼かったわたしに何度か戦争の話を聞かせてくれようとしたけれど、わたしは泣きながら逃げて、結局一度も耳を貸さなかった。 まさか後悔する日がくるとは思わなかった。